価値観がかわる瞬間

ライフスタイル

暮らす場所と環境が気づかせてくれた

きっかけとなったのはある交通事故でした。

半年以上休職の後

ひょんな出会いから現在暮らす海辺の町へ引っ越ししたものの

仕事が終わって最終電車で帰ってくると

終バスに間に合わないから唯一開いている駅前のコンビニにも寄れない毎日で

最初に遭遇したカルチャーショックは

”お金があっても食べられないことがある”でした。

お金さえあれば食べられる(生きられる)という価値観が覆された瞬間。

欲しいものを売ってくれる人がいて、はじめて成り立つこの常識。

そう思えば、これまでいく度か経験した買い占めによるモノ不足。

かつてのオイルショックや震災直後、そしてコロナが騒がれ始めたあのときも。

どんなに高額をつぎ込んだところで、商品自体がなかったらそれまで。

話を戻しますが

財布の中にはお金があるのにひもじい思いをかみしめて眠る日が続いたこの時

ふと、これまで自分が思っていた常識という名の価値観は本当にただしいのか?

という疑問が生まれたのです。

その頃の私は、めちゃくちゃワーカホリックで

休日を返上してでも会社へ出勤していました。

だから、ようやくとった月一回の休日で1か月分の食糧を買いだめるのですが

この海辺の町へ引っ越した当初は一時的な仮住まいで

真冬だったこともあり、運び込んだ荷物の中に冷蔵庫がありませんでした。

持ってきたのは寝具一式と数冊の本とポットと鉄鍋ひとつ。

食器も何にでも代用可能な大振りのカフェオレボウルのみ。

ホールフードとオーガニック

一か月分の食材は

たとえ真冬で冷蔵庫なみに寒い部屋が確保できているからと言って

さすがに保管できるものが限られ

生もの・乳製品は月一休日のみのご馳走で、あとは野菜に当然偏ります。

もともと、お肉をさほど食べないほうだったので

ストレスはありませんでしたが

キャベツの芯やブロッコリーの茎

これまでは当たり前にむいて捨てていた皮までももったいなくて捨てられない。

ひもじいあの夜を思い出すから(笑

で、これまでなら捨てていた廃棄部分も刻んでスープにしたり、保存食へと加工する。

大げさですが、生き延びるために必然的にホールフードへと頭がシフトするわけです。

全部食べるなら、そして選択できるなら

そりゃ農薬やら薬品的ななにやらは無い方がいいよね、と。

そんな中、新居への入居も完了し

家具や食器等日常品も全て整いはしたものの

職場復帰後相変わらずのハードワークを続けたことも影響してか

後遺症再発で度々救急車のお世話になり、再度休職を余儀なくされます。

そして、この豊な自然に恵まれた土地へ移ってから初めて

ゆったり過ごす日々がやってくるわけですが

日中出歩いてみると

そこここに野菜の直売所があり

しかも無農薬野菜が普通に格安で並んでいる。

後に知ったのですが、この地は里山も多く御用邸も存在するために

高度成長期に乱発した農薬の空中散布をされなかった事が功を成し

生態系を維持しているとのこと。

ありがとう!!!環境!

だから小規模農家さんが多く

スーパーですら、地元の野菜コーナーがよく目立つ入口の前面にあったりします。

例えば、水のことをはじめてちゃんと考えた日

ここは、海辺の町だからこその活動も活発で

そのひとつに海へと直接流される生活排水問題。

一年を通して浜で遊ぶ子供たちや釣り人、散歩の人々が絶えないビーチだからこそ

河口から流れる異臭やよごれには当たり前だけれど敏感になり

だからこそ、その原因に町民市民の意識は向くわけで

洗剤の勉強会やゼロウェイスト運動などを個人宅に集まって

おやつや料理の一品持ち寄りで開催している姿もしょっちゅう。

誘われて出向いた数々の集会で

これまで経験のない情報の流入を受け

しかもそれが活動家に思い至る硬くて強いイメージではなく

なんとも日々の暮らしと自然に寄り添ったしなやかさで

ライフスタイルをより豊かにするスタイリッシュな発想で

またまたカルチャーショックを受けたのです。

ちなみに後に里山保全活動をしている方から聞いたはなしでは

里山では海のこと、水のことには無関心な人も多いのだとか。

それは

自分達の生活排水が川下に流れてしまって

自分ごととして実感できないからだとか。

かつての自分かえりみても納得。

情報の取り方、選び方もかわる

ローカルラジオからはジャンルや新旧を問わず質のいい音楽が一日中流れ

外では季節ごとに移り替わる鳥や虫の書き声、風の音。

もったいなくて、テレビなんか見ている時間はない!!

だから40インチのテレビは早々に処分。

テレビの処分にはもうひとつ理由があったのですが

それはまたいつか、そのテーマを語るときに。

とにかく

暇を潰すという言葉があるけれど

ここには潰す(潰したい)時間なんて存在しなかった。

そう思うとおのずと選択肢が変わってくる。

すると見えてくる世界も変わる。

不思議なもので

いままで見えてなかった世界が見えると

なぜあんなことで気負っていたのかと

背中にあると思っていた荷物が軽くなるもの。

逆に、見ていなかったものの大切さに気づいて

日々の過ごし方がぐっと変わったりもするのです。

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