贅沢ってなんだろう

ライフスタイル

季節がわかる暮らしの贅沢感

今回のコロナ大暴れの裏で

今までの暮らしは一変したけれど

自宅にこもることに引け目を感じなくて良いという

新たな発見もありました。

特に引きこもり体質の私にはありがたい。

ここ10年ほど

この時期は毎年砂まみれになって汗まみれになって

老体にムチ打ちながら逗子海岸に足を運ぶという

映画祭の過酷なゴールデンウィークを過ごしていたから

引きこもりの流れでのこのカレンダー上の連休は

とても長い自由時間を付与された気持ちでいるのです。

そんな中改めて思う事。

毎年やっている人為的な行事以外にも

わたしたちは自然を通じて季節を感じとる。

”美味しい”と”季節感”って

四季のある日本では紐づいていて

市場に出揃う野菜やくだものは

本当に無条件に幸せを作ってくれるし

最初はすごいへたくそなのに

日々上達するのを聞いているのも楽しい鶯の鳴き声とか

昨日まで地面だったところに

ある日むっくり浮上る

蕗の芽吹きを発見した時のこころ踊る感じ

暗くなってくると

昨日までは気づかなかった夏の虫の音がどこからか響いています。

ちょっと前まで満開に咲いていた桜に青葉が茂りはじめると

しなやかに見えてとてつもなく強い、生きるエネルギーを感じるのです。

ただ、この季節(自然)からのエネルギーに気づくには

ちょっとばかりのこころのユトリが必要で

なぜなら、忙しさにかまけてたり心配事が多いと

気づくことができないくらい

自然からのアピールはふわっとしてるから。

自然界はヒトにアピールするつもりで生きていないってことなのか。

とてつもないエネルギーを放出してるはずなのに

風のにおいとか、虫や鳥の声とか

あ、季節が変わったな、と思う瞬間は

注意して聞き耳を立てていないと見過ごしてしまう。

あそび=余裕があること

贅沢を実感するに必須なことがあるとしたら

わたしは”あそび”と答えるでしょう。

遊ぶことではなく、余裕を意味する”あそび”

よく精密機械を作る際にも

車のハンドルなんかでも

アソビがないとダメって言いますよね。

古い日本家屋が地震に耐えるのは、そのアソビのおかげだとも。

身動きできる余裕がないと

1ミリでも歪むくらいの精密さだと

部品なら壊れてしまうし

木材なら折れたり崩れてしまう。

人の心も同じだなと思っていて。

だから、私は

自然の移り変わりを見逃さないように

こころに余裕を作るために

意識してきっかけ作りをします。

市場でもスーパーでもいいから

並ぶ季節のものを観察する。

ちょっと前には並ばなかったものたちを

注意深く観察する。

そしてまずは何でもいいから”季節のもの”を食べること。

春先ならば蕗味噌や

捕れたて生ワカメのしゃぶしゃぶとか

(これは葉山に来て感動した食べ物のひとつだけれど、逗子葉山の生ワカメは人生観がかわるくらいの美味しさなのです!)

新鮮なシコイワシ

うっとりするくらい美味しい

庭の完熟梅で作る梅ジュース

(完熟梅の収穫は1日遅れただけで落ちてしまうほど気が抜けない)

この季節のごちそうは

一年中、上げたらきりがないくらいあるから春夏秋冬困らない。

スロウフード・スロウライフとは

自分を自然の流れに合わせないといけないからとても忙しい。

だから、忙しい人は

こんなふうに意識しておかないと

なかなか体験できない贅沢かも。

金額以上の贅沢をあじわう秘訣

受け取り方は大事だなと思う。

作り手の想いや

素材の生い立ちや

生産者さんの暮らしが思い描けるようになったら

自然といろんな世界が見えてくるもので

私自身も

生産者の方への想いに傾倒できるようになったのは

実生活での経験からでした。

交通事故により長い休職生活に突入。

ようやく復帰というタイミングで

長年暮らした都内から、今の暮らしへとシフトチェンジ。

復帰後間もなくは

もともとのワーカホリックが祟って自宅へ戻るのが終電で

この小さな町ではそんな時間に買い物ができるお店など開いていなかった。

しかも、休日返上で働くことが当たり前だった私は

月に1~2日の休日にしか買い物ができず

自ずと食材は貴重品となったのです。

特に、長持ちしてくれる野菜はできるだけ全て使いたい。

(今で言うホールフードの概念だけれど、この場合は必要に迫られて)

皮も根っこも芯もすべて食べるならば

やっぱりできる事なら無農薬がありがたいし

そうやって選択し始めると

薬や肥料の使用量による味の違いにも気づくようになる。

無農薬のほうれん草には

あの食べたあとに歯に感じる

いやな軋みのようなえぐさがないことに驚いたし

根に至っては、驚くほどの甘さ!

考えてみれば当然だけれど

油や調味料とですら味は化学反応で出来上がるのだから

薬品と成分との化学反応がおこらないはずはないのだと知りました。

そしてもうひとつ。

スーパーに並ぶオーガニック製品との違い。

ただただ知らない誰かが認証したオーガニックよりも

あの、日に焼けた笑顔がすてきな人の作った野菜のどれだけ美味しいことか。

これはきっとお互い様で

作る人も、どんな人が買って食べてくれてるのか

喜ぶ顔を思い浮かべて作るのと

ただ単純に金銭と交換するために作るのとでは想いがちがうはず。

暑い日も雨の日も風の日も

あの人が手入れして収穫してくれたのだなと思うと

決して無駄にはしたくないと思う。

双方の想いがあって成り立つ

本当の意味でのフェアトレード&オーガニック。

それがこの土地にはあったのです。

人は希少性に価値を感じる。

これしかない、と言われたら

不要なものにも飛びつくくらい。

なのに普段本当の希少性を理解してはいないから

有難い(あり得ない)ことを勘違いしてるんだと思う。

必ずしも高価=贅沢なんじゃない。

短い季節のはざまに

気候・気温・湿度が重なった間だけ

あじわえる贅沢があることを

昔の人は知っていたんだろうと思うと

日々がまたたのしくなる。

そんなお話しでした。

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